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 米沢牛の歴史は遠く藩政時代の昔に溯ります。

 当時、南部三陸地方では鉄が産出しており、この鉄を南部牛の背に乗せて、牛方たちによって越後三条の金物屋に売られていました。仕事が終わると牛方たちは、背の荷が空になった牛を米沢地方を通る越後街道沿いの村々に売り払って帰ってゆくのが慣わしとしておりました。 こうして南部牛は米沢地方に定着して飼われるようになりました。この牛たちは盆地の厳しい四季の寒暖の中で、よく使役に従事しながら、豊富な 草とミネラルに富んだ清流に育まれじっくりと良牛に成長してゆきました。
  時は明治四年十月旧上杉藩校興譲館洋学舎に教師として招かれた英国 人チャールズ・ヘンリー・ダラスは滞在中、横浜から連れてきたコック萬吉に米沢牛の料理を作らせては、その美味しさに大変感激していたそうです。 明治八年三月、洋学舎での四年の任期を終わり、横浜に帰る折、コック萬吉に米沢で最初の牛肉店「牛萬」を開業させました。そして、おみやげとして 横浜の外国人居留地の仲間に「米沢牛」を持ち帰って、馳走したところその美味しさに皆んなが驚嘆また驚嘆。(持ち帰った頭数には、黒牛3頭とも、 赤牛1頭とも言われています)一躍、「米沢牛」の名が世に知られるようになりました。 
 大正時代に入ると松阪牛や近江牛と同じ黒毛和牛を導入して新たな米沢牛の造成に努力した結果、これまでの長い年月の中で培われた卓越した肥育技術 と自然の環境とが相俟って、比類まれなる優れた良質の肉牛が生産されるようになりました。 米沢盆地の四季に降る雨や雪は地下に伏流して、沢山のミネラルを含んだ、湧き出る軟らかな水となり、その水は牛肉に「絹目の細かさ」と「まろやかさ」 の素地を与えます。また、気温の寒暖の差の大きさは 牛肉に適度な「締まり」と「脂肪の乗り」を作ります。 そして仕上げには肥育農家の人々によって、独自に配合に工夫した飼料を与えられます。時の経過とともに肉は味と香りに絶妙な「霜降り肉」へと成熟し てゆき、味に拘わる「米沢牛」となるのです。
 近年には、毎年東京食肉市場で開催される「全国肉用牛枝肉共進会」では最優秀賞など、常に上位入賞の栄誉を数多くいただいておりますことは品質の高さを証明しております。




 今日、米沢牛は着実に我が国を代表する銘柄牛として、全国の顧客の皆様から、その 高い品質と食品としての安全性に厚い信頼を得ております。

 


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